もう直ぐあんこの1周忌の25日です
この後の文章はあんこが亡くなった翌日に書かれたもので
今でもそう願ってやまない「生まれかわり」を思って書いたのがよく判ります
実は下書きにしたまま、いつか心の整理ができたら公開しようと思っていました
切欠としては相応しくないのかも知れないけど、終戦の日という
命と向き合うべき日に、自分の身の回りの大切な誰かの事を
今一度考える切欠になればいいかと、読み返し涙しながら決断しました
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手短には書けないので先に宣言しておきますね、この記事は長いです
8月25日の1時頃、うとうととしながら撫でていた手の先で逝ってしまったあんこ
呼吸が止まる時の姿を何度も思い出して、悲しみは涙をぶり返しました
無意味に人工呼吸をしてみても、鼻からすればいいのか口からするの判らず
結局何度か口から息を吹き込んでみたけれど、あんこの口から苦い味がして
後ろから夜間緊急往診へ電話する妻の涙声がむなしく聞こえました
朝にはネット検索した火葬業者へ連絡して、いろいろ準備をしていましたが
あんこのお腹に冷凍枕をあてたり、一緒に添えるおやつや花を買いに行ったり
自分でもどこか冷静だったのか、逆におかしな精神状態だったのか・・・判りません
すっかり泣きはらして、涙も枯れたと思っていたけれど
火葬の台に乗せられたあんこを見ると、他人の目も気にする余裕もなくまた込上げて
焼香を促されるまま済ませて、焼却炉に消えてゆくあんこを見送りました
待合室で1時間ほど待って、再び焼却炉から現れていた遺骨の中には
肥大して焼け残った心臓があったり、のど仏を見せてもらったりしながら
骨壷へとすべてを収めて行きました
今更ながら、亡くなる少し前まで一生懸命に立ち上がって尻尾を振っていた姿は
自分を奮い立たせる気持ちだったのか、気を使ってがんばってくれていたのか
最後の瞬間よりも思い出す頻度が多くて、嗚咽を誘う光景だったりする
あんこがいなくなっても今は、生まれ変わりを信じて毎朝祈るばかりです
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信じたい気持ちとは裏腹に、非現実的な事と生まれかわりを考えているし
もしあったとしても、前世の記憶はなく同じ姿ではないだろうと思う
それでは生まれかわっても、自分との繋がりなど関係なくなってしまう
命はやっぱり一つ切りで、潰えてしまえばそれっきりと思う方が現実的
戦争は戦わなければ無駄に命を奪われるかもしれないという構造で
それっきりの命を戦場へと押し出すシステムなのかもしれない
国の代表は最後まで死なないかもしれないその元で、多くの命が潰える
戦いは貢献ではなく、平和への障壁ではないかと思うのは僕だけかな
身近な命を失った生者の気持ちが、また死を望むのは争いや罪の先にしかない